その「支援」はだれのため?①
どこから伝えたらいいのか悩んでしまって
少し、時間がたってしまいましたが
情報や気持ちやタイミングの共有は
温度を伝えるためにも
早いほうがよいかな。と思ってパソコンに向かいました。
誤解を恐れずに
わたしが見て、感じて、考えたことを文字にしていきたいと思いま
だれかを非難したり
どこかに同情したり
自分がただしいという主張をしたり
講座開催の是非を問うたり。
ということではまったくありません。
今回の7月上旬の西日本の大雨のなかに
わたしはおりました。
出張のスケジュールと
雨雲の一番厚いところの動きがどんぴしゃでぴったりだったからで
新潟上越市→兵庫県尼崎市→高知県高知市→愛知県半田市
という、流れ。
もうちょっと詳しく話すと
新潟県上越市→雨雲と通行止めの高速道路をよけて→北陸道で京都
兵庫県尼崎市→四国へ渡る橋がすべて通行止めであったために→カ
高知県高知市→かろうじて土砂をのけただけのさっきまで通行止め
「何で中止にしなかったの???」
「あんななか講座を開催したの???」
「中止にする勇気も必要だと思います!」
そんな言葉たちももらいながら
主催者様たちに開催の是非?有無?を伺いながら
「参加者様の安全を第一に!!!」
ということを、なんども際確認をしながら
結局、3会場とも開催をする結果となりました。
そこで
なにを感じたのかというと
たとえば高知市の講座開催に関して説明すると
7月7日の時点でわたしは尼崎におり
7月8日開催の高知県高知市に向かう予定でした。
尼崎(本州)から、四国に行く道路はすべて通行止めでした。
主催者さんに開催が可能かどうかを伺うと
「こちらはいたって日常です。」
「現在は晴れています。」
「講座の参加者さんの中で、キャンセルは2名です。(県外の方と
という、状況。
と、いうことなのであれば
天候や災害理由の中止はこちらからは提案できず
「とりあえず、行けるだけいってみます!」
という流れに。
心配してくれる仲間たちが収集してくれる情報たちから
カーフェーリーが動いていることを知り
車を搭載して船に乗りたい旨を伝える予約を入れる。
「こんな状況なんで、もう、みなさんにお断りしているんですよ。
と、言われ
電話を切ろうとした瞬間に
「お客さん!お客さん!!!つながってますか???
今、一台分キャンセル入って、普通車でしたら乗れるようになりま
「これは、行けと言うことだな。」
と、確信しながらも
胸のザワツキはおさまらず
死脈を何度も確認しながら船に乗る。
どうにもこうにも眠れるような気持ちにはなれず
船の中で 遺書を書く(笑)。
送信するだけの状態にして
「下書き」の箱にしまう。
そして
香川から愛媛かに移動し、高知への山越え。
川沿いの山越えに抵抗があり
途中のコンビニで地元民であろうおじさんに
「高知へ抜ける道はありますか???」
と、聞いてみる。
「この国道をまっすぐにいけると抜けるよ♪」
と、簡単に言われる。
「しらべたら、徳島から抜けることができない。って、思ってたん
と、聞き返してみたら
「あ~。高速はだめになったみたいだけど
全国ニュースでやってるほど大雨じゃないから、大丈夫なんじゃな
と、あっけらか~ん♪と。
おぢさまの話はわたしの中で
さくっとデリートさせていだたいて
吉野川沿いの山越えにむかう。
愛媛県側の下流の河川敷を走っていると
「ダム放流中 非難せよ」の電光掲示板と赤いパトライトが
激しく警告の知らせを出している。
下流の氾濫を恐れて
必死に上流に向かう。
あの穏やかな渓谷の吉野川が
ものすごい轟音をあげて 蛇行のカーブで道路まで水しぶきが上がる。
上流に向かうにつれて
氾濫の恐れが開くなるかと思いきや
「ダム放流中」の文字が頭からはなれず
「決壊」の文字とイメージがどんどんふくらんできてしまう。
進めば決壊。
もどれば氾濫。
どうしたらいいのかわからず
車を止め、轟音を聞きながら
ときどき深呼吸しながら死脈を取る(笑)。
乱れなし。
「神様が大丈夫っていってる♪」
そう言い聞かせて、高知入り♪
主催者さんのいうとおり
とてもとても穏やかな空と空気。
ほっとしながら5:30にホテルにチェックイン。
(フロントのおぢさまが目をまん丸にして、「どうやってこられた
2時間の仮眠をとって
講座無事開催♪
予定通り40名の皆様が笑顔でご来場♪
キャンセルは前日に言われたとおり二名のみ。
その日は高知で主催者さんと軽く飲んで
互いの心と体の労をねぎらい、
生きていることに感謝をしあい就寝。
翌日、
道路状況がわからないため
高知にむかった道をもどる山越え覚悟で早めにホテルをチェックア
ホテルのフロントのみなさまが道路状況を調べてくださる。
「徳島の山越えが可能です。」
その言葉をうけ、徳島~高知を結ぶ主要道路を選択。
その道を走っているときに見たものは
たくさんの崩れている道。
道路にあふれたであろう土砂が道の隅によけられていて。
山を削ってつくられたであろう道路。その道路脇の山の壁面には、
里山では間伐されて放置されていたであろう木々が濁流に流されて
高知で足止めをされていたたくさんの車が徳島に向かい。
対向車線には災害復旧のための工事車両と、運送業の車とが大渋滞
道路わきでは、工事車両の到着をまつ関係者の皆様が少しイラつき
そんな状況。
ここまでが
現実とそのときに感じたことです。
(「では、ここからどうする???」を考える。につづく)
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